なぜか偶然たまたま観たYouTubeのシャネルのファッションショーのBGMがストレンジで格好良く、誰がどういう背景でこんな選曲にしているのかが気になったので、調べてみました。
シャネルのショーで使われている楽曲の一例
Rah Band - Clouds Across The Moon
シャネルのショーの音楽に興味を持つきっかけは2016年冬のショーでした。
超名曲『Clouds Across The Moon』のイントロのギターリフとバッチリのタイミングで、リッツホテルのエントランスから登場する美しすぎるCara Delevingne。その後もTacoによる『Puttin' On the Ritz』の名カバー、El Cocoの『Cocomotion』と、ストレンジなディスコが続きます。リッツホテルの豪華な雰囲気とキッチュなBGMの組み合わせがとても味わい深く、夢中になってしまいました。
Frankie Knuckles - The Whistle Song
2018年5月のショーも最高です。
夜の波止場をテーマにした会場に流れはじめるFrankie Knucklesの『The Whistle Song』によって即効で心を鷲づかみに・・・。さらにPaula Mooreの『Valparaiso』へスムーズに繋がれるDJ的流れも素晴らしすぎます。
Pilou - Ca va
Willow Smithのカマし顔から始まる2016年7月のショーの模様。複数の楽曲をエディットし混ぜ合わせた構成が、ストレンジな味わい深さがあって素晴らしいです。
と、楽しみつつも「これらバレアリック的、レフドフィールド的なチョイスは天然なのか?それとも意図があるのか?どの世代の人が選んでいるのか?」と徐々に選曲者に興味を抱くようになりました。
サウンドデザイナー Michel Gaubertとは
これらの選曲を手がけるのはミシェル・ゴベール(Michel Gaubert)。レコードショップのバイヤーとして働いていた70年代終わりにカール・ラガーフェルドと出会い、90年代からシャネルやフェンディなどのハイ・ファッションのサウンドデザインを手がけています。
日本語でのプロフィールはこちらに簡潔にまとめられていますが、音楽的側面の経歴を詳しく知るためにRBMAの講義を参考にまとめてみました。
経歴
1960年代生まれ。5歳で音楽にのめりこみ、デビッドボウイやローリングストーンズなどの歌詞を勉強するために14歳頃に渡英。さらにLAに留学しジャズや未体験の音楽にも触れた後、フランスでレコード屋のバイヤーになります。この頃にシャネルの現ヘッド・デザイナー、カール・ラガーフェルドと出会います。
同時期の1978年、Fabrice Emaerによって「Studio 54のパリ版」を目指して作られたクラブ『Le Palace』のレジデントDJをオープン時から勤めます。『Le Palace』はプリンスやゲンスブールが訪れたり、グレース・ジョーンズやDEVOも演奏するような当時の最先端の文化的社交場としても機能していました。ゴベールは『Le Palace』でレジデントDJをしていた頃、初めてサウンドデザイナーの仕事を請け負います。
Le Palace と80年代パリ文化について
この『Le Palace』、パリにおいて当時いかに特別な場所だったかを物語るテキストをいくつか見つけました。
『Le Palace』は1978年の3月1日にグレース・ジョーンズのショーとともにオープンした。ウェイターたちはティエリ・ミュグレーによる赤と金の制服を着用していた。オーナーのFabrice Emaerは、自分のポリシーを貫くと同時に『Le Palace』を全ての人に開かれた場所にしたいと考え、成功した。当時のディスコブームに加え社会現象になったことにより、ケンゾーやカール・ラガーフェルドのパーティー会場やコンサートホールとしても機能した。
http://paris70.free.fr/palace.htm より
当時の文化大臣ミシェル・ガイの推薦に従い、Fabrice Emaerは老朽化した宮殿劇場を選んだ。彼はその場所を巨大なディスコとしてだけではなく、巨大バルコニーとステージを擁した伝統的な劇場空間としても利用した。彼は30年代の伝統的な装飾を修復し、大規模なパーティーオーガナイザーのチームを雇い、クラブを宣伝するための人々を雇い、Guy Cuevasを9月からレジデントDJに任命した。
ここでFabrice Emaerは成功を収める。1978年3月1日のオープニングの夜は大盛況だった。クラバーたちは、音楽だけでなく魅力的な群衆を作るEmaerの才能に惚れていた。
富裕層と貧困層、ゲイとストレート、黒人と白人、ブルジョア、さらにはパンクスも混ざるようにし、何よりも彼はアティチュードと面白い見た目の人々を探していた。
こちらの動画でも当時の『Le Palace』の模様が少し分かります。ターバンを巻いているのがグレースジョーンズ。一瞬映りこんでいるアジア系の男性は高田 賢三氏。
こちらには、Z CRAIGNOSというポストパンクバンドのメンバーが描いた『ディスコ植民地』というタイトルの漫画が転載されています。79年に一時移転した際のオープニングパーティーの模様だそうです。豪華な空間と色んな格好の色んな人々の狂乱、明け方にゾンビ化した酔っ払い・・・まるで東京ガールズブラボー in Paris!
シャネルでの初仕事
こうした狂乱の時代をすごした後の90年代にゴベールはシャネルでのサウンドデザインを手がけます。初仕事では、カール・ラガーフェルドからの「マルコム・マクラーレンの『House of Blue Danube』のようなサウンドが欲しい」という要望に対し、 Frankie KnucklesにPavarottiを加えたり、デラソウルのビートにオペラを混ぜたりしたカットアップ的なサウンドを提案したそう。ただし当時ゴベールにはエディット、サンプリングの知識がなかったため、サウンドデザイナーとしてのキャリア開始からの5~6年はデミトリ・フロム・パリスが協力をしています。
ゴベールが活躍し始めた90年代のファッション・ショーは、テーマが絞り込まれ、音楽も1種類になり、それまで1時間以上あった時間も半分以下にまで短くなっていきます。そうした変化について彼は次のように語っています。
「80年代のショーは本当に長くて退屈だった。今のショーはPVのようなもの。だから最初の25秒が肝心だ。」
冒頭に掲載したショーの動画、確かに初っ端で思いっきり心を掴まれました。また、一般的なショーの動画よりも音がクリア(いわゆるエア録音ではない)なのも、ゴベールがショーをPV的に捉えているからなのかも。
清水靖晃氏のマライヤを使用したショーも
2014年のLOWEWEのショーでは、なんと清水靖晃氏のバンドMariahも使用したとのこと。Mariahの『うたかたの日々』リイシューの1年前ですね。翌2015年のリイシューの時期にいくつもの海外の音楽メディアが『うたかたの日々』のレビューを掲載していましたが、この件については言及されていなかったような。結構大きい出来事な気がしますが・・・。
また、カール・ラガーフェルドに対して「もっとアブストラクトな感じにしよう」とOPNを提案し、シャネルのオフィスで爆音で流したこともあるそうです。既に50代を超えているにも関わらず、現在的解釈、発掘のアンテナもばっちりで格好良いす。真鍋ちえみが使われる日も近いかも。
国技館のDiorのショーも担当
"日本とミシェル・ゴベール"という視点でいうと、2014年の国技館でのショーのサウンドも手がけています。
使用しているのはPolandの若手音楽家ZAMILSKAの楽曲『DUEL 35』。こんなハードめレイヴィーな音を国技館に・・・。 ゴベール曰く、このショーはとてもうまくいったそうです。
まったく異なる文脈ですが、日本については以下のように言及しています。
"ネット上での曲探しは時間がかかる。とにかく時間がかかるし何時間聴いてもほしい曲が見つからない。日本で建物を探すのと同じだ。"
APPLE MUSICでミシェル・ゴベールのプレイリスト公開中
ミシェル・ ゴベールは2018年に『 Best of from the latest CHANEL runway shows』と題したプレイリストをAPPLE MUSIC上で公開しています。applemusic.com/CHANEL からチェックできるので、興味があれば。
このブログの著者について
コンポーザー、スティール・ギター・プレイヤー。DJ。2015年8月にデビュー7インチ『7th voyage』をJETSETよりリリース。同年11月に発売した、Nicole(My Little Airport)、VIDEOTAPEMUSIC、荒内佑(cero)などが参加したデビューアルバム『Lost in Pacific』は、英国ウェブメディア『FACT』にてライターが選ぶ2016年ベスト盤にも選出された。