90年代後半は、マッシブアタックなどのブリストル・サウンドやダウンテンポと呼ばれる音楽をよく聴いていた。当時、それらの形容に必ず用いられる"Dub"の意味や定義がよくわからなかった。"Dub=レゲエ"という説明はよく目にしたものの、マッシブアタックは全然レゲエとは思えなかったし、また当時プライマルスクリームもDub的アプローチをしているとも言われており、じゃあ空間的なエフェクト処理がされていたらDubなのか…?と混乱もしていた。
その混乱を解消してくれたのがこのコンピ『Adrian Sherwood Presents The Master Recordings Vol 2』。1999年2月にリリースされた本作は、1980年元旦リリースのCreation Rebel 『Starship Africa』収録曲『Space Movement Section 4』で始まり、1994年リリースのAudio Active『We Are Audio Active (Tokyo Space Cowboys) 』収録曲『Wanna-Na-Dub』で終わる。つまりUKのダブの名門レーベルON-Uの歴史を立ち上げから90年代中盤まで大まかに体験できる内容といえる。
ミュート気味の硬質なリズムのレゲエに時おり暴力的なエフェクトが加わり、次第に音像全体に残像が現れる。気づけばリズムはドロドロに溶けてゆき、時流のエレクロトニクスやヒップホップ、そして(好むと好まざるとにかかわらず)ディストーションギターとも混ざっていく様をタイムラプス的に一気に観察するような感じ。今様に表現するならファスト・ダブか。ダサい…すいません。でもジャケのデザインもなんだかダサいので割と良い形容かも。1000円と激安だったし。
1曲目のCreation Rebel『Space Movement Section 4』を聴いたとき「あ、ダブってレゲエで合ってたんだ…!*1」と部屋でブチ上がったのを今でも覚えていて、人生のベスト20枚には間違いなく入るくらい大事な一枚。ON-Uは、同時期にのめり込みつつあったフィッシュマンズの大きな影響元でもあったため、本当に良いタイミングで出会えたなとも思う。
このコンピは2000年に下北沢の『ONSA』というレコード屋さんで購入した。ONSAは1999年7月に開店し、2005年まで下北沢にお店を構えていた。その後移店を何度か行い、店舗運営は2011年に終えたらしい。自分は下北沢時代しか知らないけれど、エレクトロニカや音響系の音源が豊富でなかなか渋いセレクトだった印象が残っている。
下北沢の店舗はカフェと併設されていたため、面積は広くはないものの他のレコード屋とは異なる優雅で異質な空間だったことを最もよく覚えている。シナモン的な香辛料の匂いが立ち込める中、店内にエレクトロニカがぼんやりと流れる。そんなふんわりとしたトリップ感のある店だった。
下北沢は南口Onsaでセンスのいい音源チェックした後にカフェでお茶して、ハイラインレコードでインディーズのバンドをチェックして朝日屋用品店や周辺の古着屋を見て、北口に移動してゆめやのカレーを食べてサンデーブランチのスコーンやデニッシュを買って帰る。これがもう今は出来ない悲しさ…。
— TK_ASU (@bijimdiary) 2014年12月14日
この感じはなんとなくわかる。
エレクトロニカと東京と言えば、その当時は下北沢に店舗があったONSA RECORDSとONSA CAFEも大好きで、下北沢のレコード屋さんを回る時はここをゴールに決めていました。レコードもよそに入ってないようなものがいろいろあったし、CHOCOLATE INDUSTRIESのアーティストのTシャツなどかっこいいグッズも置いてありました。カフェでは、まあるい山をつくったライスの上に固めのルーがちょこんと乗っかったキーマカレーがとても美味しくて、いつもそれを頼みました。エレクトロニカをBGMにカレーとビールで、一日のレコ掘りの労をねぎらいました。
カレー食べた記憶あるな。
ここちよかった、Onsaを思い出す。
お茶にひとつクッキーがついてくるところがよかった。
ごはんに乗った、いためた卵の
半熟さがちょうどよかった。
白い壁と木の床、古いソファーに
緑の植物が似合ってた。
古い暮らしの手帖とかチーズの本に混ざって
なぜか野球の本が並んでた。
木の机にはいつも、小さな花が挿してあった。
姉妹でやっていて、
ふたりが、ごくまれに何か話すときには
ちいさくささやきあうような声で
くちびるの端にやわらかな微笑を浮かべてた。
確かに女性の方が店員だったような。段々と風景を思い出してきた。
『ONSA』のレコード袋が他のレコード店の袋よりも柔らかい素材だったのも、個人的には思い出深い。2000年はフジロックに初めて行った年でもある。宿もキャンプ場も取らずに1日だけ弾丸で行ったのだけど、遂に体力の限界が深夜に訪れて、始発のバスが出るまでの数時間、場外の駐車場で野宿した。その際、着替えを入れたONSAのレコード袋が柔らかくて枕として最適でとてもとても助かった。寝心地いいし耳元でシャカシャカしなくて最高…!となりました。
シャカシャカといえば、この年のフジロックで初めて観たJah Shakaもなかなかショッキングだった。ターンテーブル一台で、MCしながら次の曲へ繋いでいくスタイルを観たのも初だったし、煽りのような踊りも狂気を感じた。
90年代のDUBのわかりづらさの大きな要因の一つでもあったADFも同年出ていた。以下は2001年の映像だけど、当時のオーディエンスの数の多さよ。こんなに人気あったっけ。
『Adrian Sherwood Presents The Master Recordings Vol 2』は、陳列棚から取り出す様子までなぜか今でも覚えている。香辛料の匂いの立ち込めるレコード屋さんという特殊な環境だったからだろうか。そして久々に聴いていたら、このように2000年のことも一緒にあれこれと思い出した。ON-Uのいくつかのタイトルも同じように再発されていたため、ONSAに訪れるたびに購入し、枕に最適なレコード袋のストックもまた増えていった。
今年全然更新してなかったのでとりあえず。タイトルといい、テーマのダブといい、完全にパンスの記事に触発されていることに書いた後に気付いた。
*1:それまでもリーペリーなどいくつかのダブ的名盤は聴いていたんだけど、それはそれでダブとレゲエの違いって何なんだと混乱させるものでもあった。その点ON-Uの音源はダブ処理が暴力的で、レゲエだけど普通のレゲエとは一線を画すものであり、ダブなるものが分離されつつレゲエが基盤になっていてわかりやすくてよかったのです。